さぬき市の87番札所長尾寺の山門の仁王像!!

長尾寺の山門(仁王門)に鎮座されている金剛力士像を写真に撮ってAIを使って鉄格子を外してみました。
よりリアルな金剛力士像がお目見えしました。

長尾寺の仁王門の金剛力士像

長尾寺の金剛力士像にまつわるお話。

四国霊場第87番札所・長尾寺の山門(仁王門)に安置されている仁王像(金剛力士像)には、歴史的な記録とともに、地元で古くから愛されてきた非常にユニークな「歩いた仁王さん」の伝説「願掛け」の故事が残されています。

その歴史とエピソードをいくつか掘り下げてご紹介します。

目次

1. 仁王像にまつわる「歩いた」伝承

長尾寺の仁王像の出自については、お寺の縁起などに次のような非常に面白い伝説が書き残されています。

【仁王像の徒歩伝説】 江戸時代(あるいはそれ以前)、この仁王像は大阪の仏師によって彫られたと言われています。完成後、船に乗せられて瀬戸内海を渡り、現在の香川県さぬき市にある「志度浦(しどのうら)」の港まで運ばれてきました。

しかし、そこから内陸にある長尾寺まで運ぼうにも、像があまりにも巨大で重いため、陸路を運んでくれる買い手や人足(労働者)が見つかりませんでした。 そこで、当時の長尾寺の高僧(一説には桂同法印という名僧)が、困り果てて仁王像に向かって一心に念じ、お経を唱えました。すると不思議なことに、仁王像は法印の命ずるままに自らの足で動き出し、志度浦から長尾寺まで歩いてやってきたと伝えられています。

このユーモラスかつ神秘的な伝説から、長尾寺の仁王さんは「生きて動くほどの生命力と霊力が宿った像」として信仰を集めるようになりました。現在も仁王門には、仁王さんの強健な足腰にあやかり、お遍路さんの旅の安全(健脚)を祈るための「巨大な大草鞋(わらじ)」が奉納されています。

2. 幕末の力士の願掛けと「力餅運搬競技」の始まり

長尾寺の仁王像の歴史を語る上で欠かせないのが、毎年1月7日の「大会陽(だいえよう)」で行われる伝統行事「大鏡力餅運搬競技」との深い関わりです。この行事は、幕末に起きたある出来事がきっかけで始まりました。

  • 幕末の故事: 幕末の頃、讃岐出身のある若手力士が長尾寺に日参し、この仁王像に「どうぞ私に強い力を授けてください」と必死に願掛けを行いました。すると仁王像から見事に「金剛力(超人的な怪力)」を授かり、その後大相撲で大活躍したといいます。
  • 明治時代の行事化: この故事にちなみ、明治時代になって当時の住職が「地域の若者たちの体力を向上させ、福を授けよう」と考えました。米一俵分(約60kg)の巨大な鏡餅を載せた三宝を若者たちに担がせ、力比べをさせたのが、現在の「力餅運搬競技」のルーツです。現在では、男性が約150kg、女性が約50kgの巨大なお餅を抱えて歩く、非常に勇猛な名物行事となっています。

3. 仁王門と経幢(けいどう)の歴史的背景

仁王像が鎮座する「仁王門」自体は、江戸時代の寛文年間から元禄年間にかけて、当時の高松藩主であった松平家(松平頼重公・頼常公など)の寄進や堂塔整備の時代を経て、大切に維持されてきました。長尾寺は天正年間の兵火(三好軍や長宗我部軍による戦火)で本堂を除く多くの伽藍を焼失した歴史があるため、現在の仁王門や仁王像は、その後の復興期(江戸時代初期〜中期)の息吹を強く残すものです。

また、仁王門のすぐ前には、国指定重要文化財である「経幢(けいどう)」という鎌倉時代(弘安6年・9年/1283〜1286年)の石塔が左右一対で立っています。これは元寇(蒙古襲来)に出征した将兵の霊を慰めるために建てられたもので、仁王門周辺一帯が、鎌倉時代から続く非常に格式高い祈りの場であったことを今に伝えています。

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